幼稚園だより(月報) 2016年11月
伊集院幼稚園 園長 美園実保
秋の味覚の果物が美味しい季節です。りんごもおいしいですし、柿もおいしいですよね。そして、みかんもおいしいですね。この文章を書きながら、しばし中断。みかんを1個。「おいしいね。」と誰かと言いながら食べたくなりました。一緒に「ほんとに、おいしい。これ、どこのみかん?」などと話しながら食べますとますます、美味しく感じます。『共感』のなせるプラス効果でしょうか。
幼稚園で過ごす子どもたちのことを考えますと、私たち保育者に求められる大切なかかわり方のひとつにこの『共感』があると思います。見えないのに、そのことによって元気になったり、次に進むことが出来るようになります。
考えますと神さまはこの『共感』を一人では生きていけない人間に与えて下さったんだと思います。11月号のキリスト教保育誌の中で、『とりわけ子どもは世界中の賞賛を求めてはいない。むしろ大事な人(保護者、先生)から「すばらしかった。本当によく頑張ったね」という一言を求めている。』と牧師でもあり精神科医でもある山中正雄さんは、述べています。一言の重さを感じずにはいられません。私たち大人はまず、語る言葉をしっかりと吟味しつつ、生活の中に入り込んで来ているメディア、ネット等に毒されてはいないか今一度、それぞれの環境の再点検が必要な今日だと感じています。
さて、豊かな実りの秋、皆で頑張って掘ったお芋がクッキングや給食のメニューに登場します。また、この秋の収穫を感謝する収穫感謝礼拝を行います。ひとりひとりが持ち寄った秋の恵みの野菜や果物を前にまず、「かみさま、ありがとう。」の気持ちを言葉にして伝え合いたいと思います。そして、その秋の恵みの収穫物を持って、各年齢に分かれて出かけます。地域のみなさまとの出会いを大切にしつつ、たくさんの「ありがとう」をお届けしたいと思います。こうして嬉しさの「共感」が広がっていきます。楽しみです。
聖句「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ 12:15)
伊集院キリスト教会 牧師 麦野達一
神様は人間に「一人で立派に生きなさい」ではなく、「苦労しながらも誰かと一緒に生きなさい」と望んでおられます。家族、学校、幼稚園、会社、地域など、私たちは様々な人とのつながりの中で生きています。そしてつながりが深まってくると感情のつながりもできてきます。つまり親しい人が悲しんでいると自分のことのように悲しくなりますし、喜んでいる時は一緒に喜んだりします。しかし他者の悲しみに寄り添うことは比較的簡単ですが、他者の喜びに心から寄り添って一緒に喜ぶことは簡単ではありません。なぜなら人は「嫉妬」する存在だからです。他者が喜んでいるということは、その人には自分にはない何か「良いこと」があったわけですから、それがない自分をみじめに感じたり悲しく思ったりします。ですから、他者の喜びに寄り添うというのは、嫉妬心がない時なのかもしれません。よっぽど自分にも良いことがあった時とか、人生が上手くいっていて幸せでしょうがないと感じている時などです。しかし人生嬉しいことばかりではなく、むしろ辛いことの方が多いですから、「心から」他者を祝福することが難しいのでしょう。
しかし、子どもの心は大人が考えるより軽やかです。我が家の次男が3歳くらいの時にこんなことがありました。テレビでマクドナルドが三角マンゴーパイを新発売した、というCMが流れました。それを見ていた次男は2つ年上の長男に「カズキ、マンゴーパイだって、よかったね!」といったのです。次男はマンゴー好きな長男が喜ぶと思って言ったのでしょう。しかし実は、次男はマンゴーなどのトロピカルフルーツは苦手で食べられないのです。にもかかわらず、自分のことを第一にするのではなく、喜ぶであろう長男の気持ちを優先して「よかったね」と言ったのです。
子育てをしていると子どもから大切なことを教えられることがあります。教育は「共育」だなあと思うことしばしばです。他者と共に生きていくことも簡単ではありませんが、聖書は喜びも悲しみも共有しながら一緒に生きてみたら、と勧めます。ある人が「きずな」には「キズ」が含まれていると言いました。人が繋がる時には傷つくこともありますが、その中に共にいてくださる主イエス様の導きを信じて今日も共に生きていきましょう。
”マナ タイム”通信(8)
伊集院幼稚園教諭 麦野節子
夫婦が仲よく子育てに励むこと、これ以上に子どもにとって幸せなことはありません。
私たちは5つの基本的欲求を持っています。
①生きたい ②愛されたい ③いつも優位でありたい
④自由でありたい ⑤楽しみたい
これが満たされていると幸せで互いに平和に過ごせます。ところが私たちはこの欲求に対し、互いに批判し責め、文句を言いガミガミ言い合います。
こんな時にはすぐに自己反省してくださいね。私は今自己中心になっていないか、相手の思いを察してあげているか、感謝の思いが欠けていないか。
これは夫婦、子どもたち、隣人の関係にも言えます。やはり最後は喜び、祈り、感謝することですね。
自分の心だけ見ないで、ちょっと静まり、心を神に注ぎましょう。神さまの平安と祝福が与えられますよ。
次回は11月8日、22日、弱者との関わりです。