幼稚園だより(月報) 2011年11月


伊集院幼稚園主任教諭 麦野節子
今月のテーマは「目を凝らす」です。「凝らす」を辞書で引くと「心、目、耳などを一点に集中する」とあります。何かを見つめる様子が目に浮かびます。子どもたちが目を凝らす時は、子どもの心が動いている時です。そんな時には周りの大人は、その子どもに目を凝らしてみましょう。心の動きが見えるかもしれません。
さて園内で子どもたちは何に目を凝らしているのでしょう。ある朝、先生幼虫探ししよう誘われて園内のあちこちを掘って幼虫探しをしました。私の手元をよく見ていて私より先に、あ、幼虫と見つけ出します。まさに目を凝らしているのですね。だんご虫取りもそうです。真剣に見つめ居た居たと探し当てます。
年長児がとび箱にチャレンジしている姿をじっと見ていた年中児の女の子、私も年長になったら跳べるようになりたいと期待しはじめます。
三輪車に乗りたいけれど空いている三輪車がなくて乗れません。とうとう泣き出しました。どうしたの、三輪車に乗りたいの、自分のお口でかしてって言ってみましょう。うんと涙顔で頷き、「かして」と勇気を出して言いました。「いいよ」とすぐに代わってもらい大喜びです。三輪車に乗りたかったMくん、じっと目を凝らして子どもたちの様子を見ていたのでしょうね。
我々大人はどんなことに目を凝らしているのでしょう。放射線に添加物に、食生活にと様々あることでしょうが、ぜひかわいい我が子に目を凝らしてほしいものです。我が子の小さな変化や成長に目をとめましょう。そして共によろこびあいましょう。子どもたちは、ますます好奇心が深まり興味・関心の幅が広がります。
月曜日の礼拝で「光を輝かす」のお話をする時、光を分かってもらいたくて、ローソクを灯しました。じーっと目を凝らして、明るく、あたたかく、やさしくあたりを照らすローソクの灯を見つめていました。子どもたちは素直に光を輝かしたいと思っています。さぁ我々大人も目を凝らして幼児期に豊かに育っている神さまへの信頼の思い、神さまを信じる心を共によろこびあいつつその成長を見守ってゆきましょう。

聖句「隣人を自分のように愛しなさい」(ルカ10:27)
伊集院キリスト教会 牧師 麦野達一
あるとき園バスの中でこんな会話がありました。「道路を歩く時は妹を車の来ない方にして歩くんだよ。」小学生のお姉ちゃんと、1歳の妹がいる園児の言葉です。その子が数年後、姉妹で一緒に小学校に通う時のことを話しているのです。すごい!良くわかってる。小さい子、弱い者を歩道側にして、自分は車道側を歩くのだと今から考えているのです。聞いてみると、そのことはお姉ちゃんが教えてくれたのだそうです。きっとその子が小学生になりお姉ちゃんと学校に通い始めると、おそらくお姉ちゃんは車道側、その子は歩道側を歩くことになるのでしょう。そうやって自分がやってもらって、そのことを体験的に学び、自分より小さな者にも同様にしていく、というのが大人の考える順序です。でもその子は、まだ自分がしてもらう前から、もうすでに自分がしてあげる時のことを考えているのです。子どもってすごいなあと思いました。この子の中にはイエス・キリストが弟子達に教えた「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉が脈々と生きているのを感じました。神の言葉が生きているというのは、こういうことを言うのかと、まさに子どもから教えられた思いです。大人になると人生の経験や様々な知識から、どうしても先読みしてしまったり、打算が働いたりしがちです。でも大人から見たら未熟な子どもこそ、その素直な心でキリストの言葉を正直に受け、実行出来るのだと思わされました。そう言えばキリストはこんな言葉も弟子達に語っています。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」(マタイ19:14)子どもから学ぶこと、たくさんありそうです。

今月のコラム
世界のベストセラーの本は何だかご存じですか?
それは「聖書」です。神さま(イエス様)の言葉が書かれている本です。
聖書は全ての人が生きるために必要なことがいっぱい書かれています。私は聖書を「最高の育児書」とも思っています。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
聖書の中の私の好きな言葉です。これを実行できる人になりたい!といつも願っています。
相手の思いを考え相手の心を大切にし、そして「共感しなさい」と教えられるのです。自分が相手にこのようにされたらうれしいですよね。これを子育てに当てはめると、親が伝えたいこと,教えたいことは子どもの思いをまず受け止めてから、ということになります。
聖書の言葉を土台にして人を育てる営みがキリスト教保育です。聖書は教えばかりでなく、「神さまからのラブレター」とも言われるほど、私たちへの愛のメッセージもたくさん書かれています。
教会には差し上げられる新約聖書もあります。ぜひ一度、読んでみませんか?